最初の夫と出会うまで その1
「離婚したいんやけど。」
「は?」
ある日突然のこんなやり取りから、大きな運命の輪は回り出したんですの。
いやいや大変でしたわよ。まったく。
この後、変化の連続でヘトヘトになってしまうのですが、それがどんなものだったかは今後のお楽しみということで、まずはこの出来ごとの伏線になっていることあたりから書いていきましょう。
その方が、最初の結婚生活の実体などわかりやすいのではないかなと思うので。
私は九州生まれの九州育ち。
父親には可愛がられ、母親にはあまり可愛がられない日々を過ごしておりました。
長い間一人っ子だった私は、兄弟のいる友人たちが羨ましくて羨ましくて、小学校の通学路にあるお地蔵様に毎日、
「私に妹を下さい。」とお願いしていたもんですの。
今から考えれば、ただただ余計なことをしたものですが。
願いはかないましたわ。
小学5年生、私が10歳の時のことでした。
もう可愛くて可愛くて、頭の中は妹のことでいっぱい。
ところがその時期、母が育児ノイローゼになっていったんですの。
当時住んでいた土地を欲しがる不動産業者が地上げを始めていたのでした。
最初の夫と出会うまで その2
地上げは本当にエゲつなくて、塀にブルドーザーは突っ込むわ、庭に入り込んで、家の中を覗きながら壁におしっこはかけるわ(犬ですの!?)、エラいことでしたのよ。
精神的にモロいうちの母なんか、ひとたまりもありませんわ。
一日中何もしないで寝ている日々が続きました。
ということは、生まれたばかりの妹の世話は、私の双肩にかかってくるわけですの。
おむつ交換はもちろん、布おむつの洗濯、夜中の授乳、その他家事全般。
学校で授業を受けている間は、おむつの交換をしてくれる人間がいないのですから、かぶれが氣になって授業が終わるとすっとんで帰っていたものでした。
こうして、日本一所帯じみた小学5年生(笑)が誕生したんですの。
結局、半年程で地上げに屈した私たちは、引っ越しをすることにしました。
とは言え、仕事でほとんど家にいない父は戦力ではありませんし、母は論外。でも小学5年生には、一家4人の引っ越しを担うにはちとヘビー。
有り難いことに、ご近所のおばさま方がワラワラと集まって下さって、無事にお引っ越しは済んだのでした。きっと見かねたんですわね。
引っ越して新しい環境になると、母のノイローゼは徐々におさまっていきました。
それでも、相変わらずおもちゃ1つ、服1枚買ってもらえない妹。
あの頃、毎年私が親戚から頂くお年玉は、彼女のおもちゃと服に消えていたものですわ。
やれやれ。
これが私の貢クン人生の始まりでしたの。
最初の夫と出会うまで その3
引っ越した先では、早くなじまないといけませんわね。
どう贔屓目に見ても社交的とは言えないうちの母。
私も、どちらかと言えば避けて通りたい近所づきあい。
でも、妹の生育環境のためには文句言ってる場合じゃないんですのよ。
私は道で出会う御近所の皆様に、極上の笑顔で挨拶することを始めました。
まぁ、今から考えたら当たり前のことだと思うのですけどね、当たり前のことを当たり前にやるのって、案外貴重らしくて、
早々に
「フェムトちゃんは、よくできた娘さん。」
という評判がたったのですわ。
これはちょっとエスカレートしまして、近所の子供たちは親御さんに叱られる時に、「フェムトお姉ちゃんを見習いなさい!」などと言われていたとのこと。
結果、物心ついた妹にプレッシャーをかける要因その1になったんですの。
もとはと言えば、妹の生育環境のために良かれと思ってしていたことなのですが、見事に裏目に出てしまったのですわ。
幼稚園に通い始めた妹の送り迎えをしながら、私は高校受験を控える年齢になっていました。
公立の進学校1校と、私立を2校受験しましたの。
通常、公立の滑り止めに私立を1校受けるというのが定石。
ところが私が受けた私立は、県で最も難関と言われるところでしたので、滑り止めにはなりません。
そこで、3校を受けたんですの。
結果、全部合格。
喜び勇んで、せっかく通った最難関私立に進学したいと考えていた私に、母の爆弾発言。
「義務教育までしかお金を出す氣はないよ。」
最初の夫と出会うまで その4
母の言葉に、高校合格の喜びはふっとんでしまいました。
進学後は、その学費と交通費を自力でなんとかしなくてはいけないことが判明したのですから。
もう私立に行きたいなんて言ってる場合ではありませんわ。
こんなことなら、最初から受けなかったらよかったじゃありませんの!と思っても後の祭り。
とにかく月々の支出額の把握と収入源を確保しなければぁ〜!!
ドキドキしながら中学校の卒業式を迎えた私は、その後運良く知り合いのツテで同人誌のコラム書き(よく給料もらってたものですわ。同情してお小遣いとして下さっていたのでしょう)と、モデルの仕事にありつきました。
もともとは手タレ脚タレのパーツモデルだったのですが、そのうち全身で(なんて表現かしら(笑))するモデルの仕事が来るようになりましたの。
ウエディングドレスや着物をたくさん着られて楽しかったですわよ〜。
でもまぁそれは、高校卒業後の話。
とりあえず、学費及び経費の捻出先を確保したことで一安心。
安らかな氣持ちで高校に入学したのですわ。
入学後は、なかなか妹の面倒まで手が回りません。
進学校でしたから、通常の授業の前後に課外授業があるんですの。
幼稚園に入っていた妹の送り迎えは、中学まではなんとかこなしていましたが、高校に進学してからは難しくなりますわね。
一体誰が送り迎えをするのか。
これはもう母に何とかして頼むしかありませんのよ。
・・・・って妹は誰の子なのでしょうか!?
とにかく3日がかりで母を説得し、何とか送り迎えを承諾させたのでした。
とは言え、当時ふと思い立ったらしくて自動車学校に通っていたうちの母。
「授業があるからね〜。送り迎えなんて行けるかな。」
なんて言うものですから、毎日「今日は迎えに行ったかしら?」と学校でも氣が氣ではありませんでしたわ。
ある日、学校から帰ると部屋に明かりがついていません。
明かりをつけようと、暗いままの部屋に踏み込んだら、何かに躓きましたの。
部屋の入り口で、母がうつぶせに横たわっていたんですのよ。
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